タイヤセンターウメモトの歴史
- 1932(昭和7)年
- タイヤセンターウメモトグループの前身の大野木ゴム工業所が創業
- 1963(昭和38)年
- タイヤセンターウメモトグループ会長梅本信夫が丁稚奉公として大野木ゴム工業所に務め始める。(教師を志し京都の大学にいくための下宿を兼ね、住み込みで働く。)
エピソード① 初任給
休みもなく寝食を忘れて働いていたある日、ふと、仕入れ帳をのぞくと自分の月の給料(住み込み7,000円)とタイヤ1本の値段(しかも仕入れ値)が同じであることを知る。それがショックでショックで愕然としたらしい 。 かなり悔しいおもいをしたが、それをバネに「タイヤで喰ってやる!」と死にものぐるいで働いたのであった。その結果、大野木ゴム工業所を譲り受けることができた。
- 1969(昭和44)年
- 大野木ゴム工業所(現・ミスタータイヤマンウメモト京都駅前)を先代より譲り受ける。後の山科店オープンに伴い、タイヤセンターウメモト七条店となる。
- 1975(昭和50)年
- タイヤセンターウメモト山科店(現在のミスタータイヤマンウメモト山科)オープン。このとき『安全とサービスを売るタイヤセンターウメモト』に改名。
- 1981(昭和56)年
- タイヤセンターウメモト向島店オープン
- 同年 7月
- 1981年にちなんで、81時間ノンストップ営業をタイヤセンターウメモト山科店が業界で初めて開催する。(その後、毎年1時間ずつ営業時間を増やしながら継続されるが、「いつまで増えていく?」という不安の声から、3日間ノンストップで営業を続ける『ねんとセール』となる。セール名は関西弁で寝ないことを意味する「寝んと」から命名)
エピソード② 業界初オールナイト営業
地域一番店になるためのイベントをすることになり、金魚すくい、ヨーヨー釣り、スイカ販売などお祭のように色々やってみたが効果は上がらず…。そこで、タイヤ屋という初心に戻り考えてみたら、「タイヤの大量展示」を思いついた。しかし、タイヤを大量に展示するということは、セール期間中、毎日大量のタイヤをしまわなければならない。そして、朝がやってくると、またタイヤを大量に出さなくてはならない…。いくら「女房とは死ねないが、タイヤとは死ねる。」と豪語するタイヤ大好きの社長でもそれは無理であった。本当に死んでしまう…。毎日大量のタイヤの出し入れを一体どうするか?という問題に、専務(社長夫人)が「じゃあ、タイヤと死んだらいいじゃない。」と言ったかどうかはさておき、「店を閉めへんかったらええわ。」と1981年にちなんで、81時間ノンストップ営業を思いつく。翌年もそのノンストップ営業は行われ、1982年だったので、82時間ノンストップ営業で行われた。恒例となってしまったノンストップ営業は毎年1時間ずつ増えていくこととなる。
- 1982(昭和57)年
- 梅本ヒロジ氏にのれん分けをし、タイヤショップウメモトオープン。グループより独立。
- 1985(昭和60)年
- 安藤達夫氏にのれん分けをしタイヤセンターウメモト向島店を譲り、グループより独立。
- 1990(平成2)年
- タイヤセンターウメモトサカモト(現在のミスタータイヤマンウメモトサカモト)を滋賀県大津市にオープン。
エピソード③ サカモト店オープン
兼ねてから故郷にお店を構えたいと願っていた社長の念願が叶った瞬間であった。前方に琵琶湖をのぞむ、社長の理想の詰まった店として誕生した。 この時、まだ認知度の低かったアライメントテスターをいち早く導入して、一般のお客様だけでなく、カーディーラー様等の厚い信頼を築く。
- 1993(平成5)年
- タイヤ館ウメモトを京都市右京区にオープン。タイヤ館をオープンさせる際は土地の名前をタイヤ館の後ろに付けることが決まりであるが、『ウメモト』という固有名詞を付けることを許されたタイヤ館はタイヤ館ウメモトのみである。
- 1996(平成8)年
- ミスタータイヤマンウメモト宇治を京都府宇治市にオープン。
- 同年 9月
- タイヤセンターウメモトサカモト店をミスタータイヤマンウメモトサカモトにリニューアル
- 2003(平成15)年
- タイヤセンターウメモト山科店をミスタータイヤマンウメモト山科にリニューアル。
- 2006(平成18)年
- タイヤセンターウメモト七条店をミスタータイヤマンウメモト駅前にリニューアルオープン。(2018年10月閉店)